インドには貧困世帯が生活を営むスラムがあちこちにあります。スラムに暮らす人々の生活は”最低限”そのものです。近年経済の成長ぶりが大々的に報じられることも多いインドですが、利便性が高まり豊かな暮らしを営む世帯と、貧困世帯との隔たりは大きく、格差は広がる一方です。
インドのスラム訪問では、そこで暮らす人々の生活を訪ねます。
インドのスラム訪問の目的
スラムに実際に足を運ぶことで、貧困の課題と、本当に必要とされる支援が実際にはどのようなものか、考えるきっかけになるでしょう。それまでメディアなどを通じて得てきた、インドの”スラム”や”貧困”のイメージとのギャップを感じる訪問者の方は多いです。
インドのスラム体験レポート
はじめてスラムを訪問した感想
はじめてスラムを訪問した率直な感想は「思っていた場所とちがう」ということでした。もちろんスラムといっても、様々なスラムがあり、私が初めて訪問したスラムは、インドの首都デリーのわりと栄えているエリアにある一角で、スラムのそれぞれの家には、冷蔵庫やテレビなどの家電製品が置いてありました。また、共有ではありましたが洗濯機もありました。こんなに色々あるのかと、驚きました。
また、同じ人であるにも関わらず、自分が偏った認識で世界を捉えていることも、この後も様々な貧困世帯と言われる地域を訪れ続けることで次第に自己の認識がみえてきました。そして、同じ人類、同じ時代を生きるものとして、ちがうのは、ただ「生まれた場所」だけであるということにも対面していくことになります。
わざわざ初めて訪れる、それも特に用事もなく訪れる外国人を歓迎してくれているというのに「靴を置いておくと盗まれるんじゃないか」とか「おもてなしで出してくれる水を飲んだらお腹を壊すんじゃないか」とか、実際にはそんなことは一切ありませんでした。もちろんスラム訪問は、そのスラムの住人と関係性のある方と訪問させていただいたからこその安全ではあったのかもしれませんが。
人としての感覚「何をされて嬉しいか」「何が心地よいのか」というのは当然ですが「人類」として共通していることへの気づきがありました。言語や、コミュニケーションの取り方、感情表現や、受け取り方のちがいというのはもちろん生まれ育った環境によって多少はあるでしょうが、基本的には同じ人間。同じ音楽を聞いて楽しい気持ちになる、美味しいご飯を食べて心が満たされる、同じ気持ちを共有でき、意思疎通が可能な者同士。自己の経験や価値観から離れ、ただただ1人うまれた人間としてのあり方に立ち返って考える機会が増えました。
インド スラム訪問の概要
- スラムエリアを訪問
- スラムの教育現場を訪問
- スラムの家庭を訪問
- 交流
訪問エリア
- デリー
- グルガオン(ハリヤナ州)
- ブッダガヤ(ビハール州)
- コルカタ(西ベンガル州)
- 他
インド スラム訪問から学ぶこと
- インドおよび世界の社会課題を考えるきっかけになる
- 国際支援の方法を考えるきっかけになる
インド スラム訪問のスケジュール
- 半日〜
オンライン 社会活動講座
すぐには現地へ足を運ぶことは難しいという方も、オンラインにてインドの社会活動について、現地の社会活動家から学ぶことが可能です。